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2011年5月

2011年5月30日 (月)

ゴミを捨てんな

今月23日の徳○新聞に写真入りでゴミの不法投棄の記事が載った。三○市では530ヵ所でゴミが散乱しているらしい。回収してもまた元通りになるイタチごっこが続いていると書かれていた。いずれも不法投棄によるもので心ない愚か者が多いことには辟易とさせられる。

町はともかく山の住民の中にはそういう不心得者が多いように思う。行政がまだ十分に成長していなかった昔、田舎の住民は近くの谷や川や山にゴミを捨てる習慣があった。誰も引き取ってくれないのだから仕方がない。未熟だった行政も見て見ぬふりを決めこむしかなかった。時代とともに行政も成長し、住民を取り巻く文化・教育・福祉が改善され、環境についてもゴミの収集などが始まった。住民は数種類のゴミ袋にゴミを分別して回収してもらうことに慣れていったが、中には昔のままの習慣をいまだに実行している愚か者がいるから困ってしまう。

昨年、ゴミを近くの谷に捨てている者を見かけたが、その者がそれなりにしっかりとした家庭の者であったりするとおどろく。また数年前には古くなった冷蔵庫を遠くの山に捨てに行ってるポイステ人と会話をしたこともある。「処分する金がもったいない」と言っていた。だけどその家庭はそれほど生活に困っているわけでもない。   

Photo_6        その新聞記事・・・

     

20年ほど前、親父が自分の所有する山に粗大ゴミを捨てた。オイラは止めたのだが「自分の山に捨てて何が悪い」の一点張りで押し通した。捨てたのは軽トラ一杯くらいのゴミだったのだが、数年後そこはゴミの山と化した。それを知った親父は、誰かが自分の山にゴミを捨てている・・・と憤っていたが元はといえば自分が悪いのだ。

「そうなるから、やめとけって言ったのに・・・」オイラは冷たく親父に言い放った。普段冷静に考えるとゴミを捨てることは悪いとか、いずれ増えたゴミを誰かが処分するとか分かっていても、先に知らない誰かがゴミを捨ててあると、自分が先にやったことじゃない。あるいは自分だけじゃないし・・。と自分に言い聞かせ、ゴミを捨てていく。中には「処分には金がいるから捨てなきゃ損だ」って前出のポイステ人と同じ心理で捨てる者もいる。人間の心理なんてこんなものだ。

走る車の中から火のついた吸い殻を捨てる者。登山の途中で空き缶などを林の中に捨てる者。道路の下へペットボトルを捨てる者。そこらへんに簡単に捨てられるタバコの吸い殻、空き缶、ペットボトルの類。この小さな行為がどんどんエスカレートしてテレビ、洗濯機、冷蔵庫などを捨てても平気な心に変化をとげていく。

Photo_7        別の山奥のある場所ではこんな不法投棄が・・・

 

その後、親父の山のゴミは業者さんに頼んで回収してもらい、現在そこにはオイラの家が建っている。たぶん家を建てなきゃゴミを回収しなかっただろう。なんだか家を建てるから回収したようでバツが悪い。

28日の土曜日、新聞に載った場所でゴミが回収されていた。捨てられていた錆びた小型のバスが大型トラック乗せられゆっくりと運ばれていた。それを見て田舎にこんなことをする愚か者が住んでいるのだと思うと情けなくなった。そこでゴミを平気で捨てている愚か者に一言「ゴミを捨てんじゃねえよ、この田舎もんが・・・」

昨年は天気のいい何の予定もない日曜日、家族で田舎道にポイ捨てされた空き缶を拾ってまわった。今年も天気のいい何の予定もない日曜日に家族で空き缶を探しに行こうと思っている。

2011年5月26日 (木)

『でも』って話し

以前上司と会話をしていて「その言い方は相手に失礼だよ」と言われたことがある。常日頃から失言の類はお得意であるオイラなのだが、その場合にはどうしてもそれを認めることができなかった。

そのシチュエーションはおおよそこうだ。ある日の講習の講師をAさんにしてもらいたかったが、Aさんは当日都合が悪いというので「Bさんにでも頼もうか」とオイラが言ったとき、その上司が「でも・・・って言い方はBさんに失礼になるぞ」と言ったのだ。Bさんに対して失礼になるってことは、BさんのことをAさんよりも格下って扱いをしたとでもいうことなのだろうかthink

あるモノがあるモノにかわるとき「○○がだめなら○○にでも・・・」と言う。「うどんがないんだったらカレーにでもするか。」「鈴木さんがいないんだったら松田さんにでも頼もうか」・・てな具合に物や者に使うが、この『でも』は必ずしも前のほうが上のランクで後のほうが下のランクとは限らない。

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例をあげると、欲しかった形の靴が2500円だとする。買いに行ったがそれが売りきれていた。そこで「同じ形で3000円のがありますが・・・」と店員が言う。「じゃ、それにでもします。」と答える場合。もうひとつあげると、会合であいさつ予定のA課長補佐が来られなくなりB課長が来ていた。「じゃB課長にでも頼むか」の場合。

どちらかと言えば後のほうが上のランクでなかろうか。『でも』を使った話しの流れなので上とか下とかいちいち考えているわけではない。オイラもAさんよりBさんが下のランクだとか考えて発言したわけではないのだから失礼には当たらないと思うのだが・・・。

ある会議に出席予定の者が出席できなくなった時「私でもいいですか?」と・・・つまり代わって出席しましょうかと申し出る場合の『でも』には、私のような者でもよければ・・・という多少自分を卑下するニュアンスが含まれているのかもしれないが、今回の『でも』はそれとは別のものだと思う。

あの人がだめならこの人にでも頼もうか・・・。これは日常的に使われる会話である。この場合の『でも』を失礼だと言うなら日常の会話はできなくなってしまう。この『でも』にあえて理由をつけるなら、次の人が自分の申し出を受けてくれるかどうか不確実であるからそこに不安が生じる。そこで『でも』をつけてそのモノ以外の選択肢を残していくためなのかもしれない。日本人なのに日本語ってやつはホントにむずかしい。

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その後、その上司の前では「Cさんが都合のつかないときはDさんに依頼しましょうか」と『でも』ぬきで話すことにした。今その上司は同じ職場にはいない。気兼ねなくおおいに『でも』を連発している・・・。

こんなわけのわかんないオイラのブログより、もっとしっかりとしたブログにでも目先をかえてもらおうか bleah

2011年5月22日 (日)

風邪とフェンス

屋上にフェンスがあるのだが、それを作った時は、この家に引っ越しをしてこなければならなかったので十分な時間がなく、フェンスのポールを簡単にネジで止めていた。昨年からこのフェンスを固定してある足元が悪くなっていることは気がついていた。夏になって屋上で水遊びをするだろう子供たちの危険を取りのぞこうと、そのフェンスをやりかえることにした。

P1000690          フェンスを取りはずした屋上

来週からは天気が悪くなるようなので一気に今週やりあげようと思った。一日目は古いフェンスを取りはずし、ドリルハンマーでコンクリートに穴をあけて鉄筋を刺した。計画どおり順調に一日は終わった。

二日目はコンクリートブロックを固定する作業をした。セメントと砂を混ぜそこに水を加えて練り上げコンクリートを作り、それでブロックを鉄筋に固定するのだのだが、これがきつかった。なぜきつかったのかと言うと、前日の夜から風邪をひいて体調が悪いうえ晴天でかなり気温が上がったこともあって、ふらつきながらの作業だった。午後3時には終わりそれから少し横になり体を休めたwobbly

オイラはいつも誰かから風邪をもらってしまう。ここ数年は子供から風邪を頂いている。欲しくもないのに頂いてしまうから体質というものはどうしようもない。この体質について最近は、低体温の人は抵抗力が弱く風邪などをひきやすいとテレビで言っていたが、そう言われてみるとオイラの体温はいつも35度後半である。

年間平均4回はひいているから3カ月に1度は風邪をひいていることになる。前回は昨年の10月初旬に風邪をひいた。今回は5月中旬だから7カ月以上も風邪をひかなかった。その理由は、子どもたちが風邪をひかなかったからだ。

オイラの風邪をひくパターンは風邪をひいた子供と寝てる間にうつるってことなので納得がいく。今回は最初に小姫が風邪をひき、そのあとオイラそして小太郎と続いた。小姫はすでに治っているがオイラ&小太郎はまだ風邪を引きずっているdespair

P1000703        新しく生まれ変わったフェンス

今日は日曜日、この日にフェンスを完成させないと明日からは雨になる。といえどもその時すでに小雨は降っていた。職場から帰るとすぐフェンスの取り付けにかかり午後1時にやっと仮止めができた。

その後、昼食を少しとりまだ体がだるいので、それからは横になったが、どうにも落ち着かない。やはり仕上げないとゆっくりと横になっている気がしない。こればかりは性分なので仕方がない。1時間後また起きて栄養ドリンクを飲んで、仕上げのネジ止めを午後7時過ぎまでやり、やっと完成させた。

ただフェンスを取り付けただけなのに風邪気味の体に鞭打ち完成させたことがさらに達成感をわきあがらせた。初夏の風は出来上がったばかりのフェンスをぬけ夕焼けの空に消えていった。オイラの風邪もフェンスをぬけて空に消えてくれないかなぁcoldsweats01

2011年5月18日 (水)

あたらしい季節が巡ってきたという実感がやっとわいてきた。今年は例年になく春の訪れが遅く、長引いた寒いシーズンも終わろうとしている。石油ストーブは先週押入れの奥に引っ込んだが、電気こたつはまだ居間の真ん中に居座っている。まだこの田舎の朝の気温は7~8度くらいなのでもうしばらくのあいだ付き合ってもらうことになる。

昨年の秋、家の近くの杉の木に巣箱をにかけておいた。どうやらその中でシジュウカラがヒナを育てているようだ。ツバメも巣作りに精を出し飛び回りはじめた。今年も確実に春がやってきた。鳥たちが毎年ヒナをかえすこの時期、昨年のヒナが親鳥になっていることもあるだろう。つまりヒナは見た目が同じであっても昨年と同じヒナではない。

P1000693      自宅から見える対岸も緑に包まれてきた

今なお新聞には東日本大震災で犠牲になった方々の名前と年齢が載り続けている。行方不明のまま発見が遅れたからであろう。そこにひと桁の年齢を目にするとさらに悲しみが募ってくる。自分も子育て中の親であるからなおさらだ。

この震災で亡くなった子供は生物学的に言うと子供であっても同じ子供は二人といない。そして二度と生れてくることはないのだ。自然が起こした災害でその尊い命をなくした悲しみを背負って、残された家族や身内は生きていかなければならない。せめてその生活を支援し心の負担を少しでも楽にしてあげようと全国から義援金が集まっているが、それプラス国の早い支援がなければどうにもならない。

国会では今回の震災に絡んで党利党略、私利私略にはしっている国会議員も見受けられるが、そんなことよりも、もっとしっかりと被災者の心を救ってほしいものだ・・・。

被災者の方も早く復興をはたし、そこで生まれるであろう新しい命をみんなで囲み、震災で消えた小さい命の分まで、その新しい命が幸せになっていくことが、被災者の心に春を告げるひとつになると思う。

その春の音連れは国の手腕の在り方一つで近くにも遠くにもなる。その国を作っているのは与党でも野党でもましてや官僚でもなく、国民全員だ。震災地の復興は日本の待ち遠しい春である。

P1000731      イチジクの葉も大きくなってきた

2011年5月15日 (日)

落合峠で思ったこと

今日は家族いっしょに近くの落合峠へ遊びに行った。標高を増すにつれ若葉が少なくなってくる。気温が寒いのでまだ緑が伸びきらず枝から小さく顔を出していた・・。楽しみの弁当だったが風が強く肌寒かったため、身を縮めながらおにぎりを食った。

P10006131    小姫&小太郎も元気に登った。

山を歩くときは山道を通る。それが当然のことなのだが、近年心ない者がふえ、山道以外の場所を平気で歩く。危険が伴う場所ではあまりやらないのだろうが、なだらかな山頂に着いたとたん、そういったヤカラは平気でクマ笹の中を踏み荒らしはじめる。たとえばグループで登山した中には、そういうわけのわからないことをして周りの目を引くことを楽しんだり、グループで登山に来ているのにもかかわらず単独行動を取るといったまるでガキのようなどうしようもない大人がいる。

グループばかりでもない。少数や単独で登山をしていても自然の中で小さな冒険を楽しむかのごとく、道をそれ、米ツツジやクマ笹を踏み荒らしたりと前者と同様の行動を起こす。これは高山植物に食害を及ぼしている鹿とたいして変りないと思うのだが・・・。

もっと最悪なのは誰も見てないと高山植物や希少生物を持ち帰ろうとする者がいることだ。今日も車の中に何かの緑の葉がたくさん見てとれる乗用車と対向したし、大きな虫とり網を原生林の中で振り回しているふたり連れを目撃した。いずれも県外ナンバーであった。

P10006011       米ツツジはたくさんの小さなつぼみをつけていた

今なお天狗塚の近くには地面が露出し風雨にさらされている場所がある。かれこれ30年以上も前に米ツツジを掘り起こし持ち帰った不届き者がいたと人から聞いた。その者が自然に与えた傷跡は回復していない。

剣山系の高山はその表面をクマ笹と米ツツジに守られ長い年月、風雨風雪に耐え人を魅了する山肌を見せてきた。その表面が傷つけられることは致命傷になる。山は荒れ雨に流された土はさらに山肌を削り山を崩していく。それは将来、形を変え人をも襲うことになるかもしれない。P10006591    遠くに見かけた天然記念物のカモシカ。日本鹿とは別です・・・

さて昨今、日本鹿による食害で高山植物は息も絶え絶えに悲鳴を上げている。行政はその対策として、この鹿に懸賞金をかけたり、防獣ネットを張り巡らせるなどの対策をとってはいるが、今となっては時すでに遅しの感がある・・・。

メス鹿を撃たないようにと猟師に規制をかけていた時期には猟師がたくさんいたが「撃って下さい」となった今はその人口は激減し、しかも高齢者ばかりだ。

また防獣ネットについても、あまりにも広大な剣山系にネットを張り巡らせ鹿の食害をすべて食い止めるなどできるのだろうか。山脈に沿って長く延びるネットは、鹿の進入を防ぐため・・・まるで敵の侵入を防ぐ万里の長城みたいだ。

P1000555_2    このさき緑はしだいに山の上へ広がっていく・・・

天候に恵まれた休日ともなれば、鮮やかな新緑に照らされた田舎道を観光客の車が何台もやってくる。どうかこの中には山の自然を傷つける登山客がいませんように・・・。

2011年5月12日 (木)

《活彩祖谷村》の船長さん

オイラがはじめて出会った時には、すでに村長さんと彼はいつも一緒だった。そして村長さんともども《めんめ塾》や《てんごの会》といった、村おこしにつながる住民グループの中心的な存在だった。この田舎で毎年開かれているジャズフェスタの夜、熱く語り合う二人の田舎に対する熱意のようなものにひかれたことを覚えている。

彼のことを仮に、歌って踊る船長さん(以下、船長さん)とでも呼ぼうか。この船長さんはもともとこの田舎の人ではなかったが、25年ほど前にこの田舎の女性と結婚をした事をきっかけにして、海を捨て山村にやってきた。大海原へ何カ月も航海に出かけていたひとりの海の男は山の男になった。まさに陸に上がった河童状態となると思いきや、とにかく動く。村長さんに負けず劣らず行動する。

船長さんは、この3月まで竜宮崖コテージの管理人として働いていたのだが、行政の圧力をうけやめることになった。あと何年かは働く必要があったのだが、行政の思惑で市役所OBの方が後釜としてそこで働くことになっていた。たとえのんびりとした田舎であっても理不尽ってやつは平気でまかり通る。それを知った元村人の一人がその不正を訴えたことで、このOBの方は管理人職を辞退した。しかしながら船長さんの再雇用にはいたらなかった。

P1050009      秋の竜宮崖コテージ管理棟

このコテージで何年も管理人をやってきた船長さんは観光客からも人気者だった。宿泊客と共に飲んで歌って踊って、この田舎の良さを暖炉の前で朝まで語った。もちろん施設についても壊れたトイレや水道や遊歩道を自分で修理し、宿泊客が帰った後はいくつかある宿泊棟をまわりすべて掃除していた。その道具はもとより簡単な資材は自前でやっていたのだから驚く。

外国客が増えてくれば英会話まで勉強して、それなりに理解できるほどになっていたことには更に驚かされたが、それほど熱意のある管理人だった。この船長さんの人柄でどれだけのリターン客がいただろう。遠くは北海道・九州、そしてアメリカ・イギリスなどの外国の方まで・・・。

管理人時代には調理師の免許を取得し、知人から電気関係の手伝いを頼まれたことを機にして50歳を超えてから電気工事士の免許を取ってくるなど、その年齢に関係なく物事に向かっていく船長さんの姿は感動ものだった。もう50歳を過ぎたからとか、若くないからとか、この人の場合まったく関係ない。山を愛し数年前から山のガイドもしている。山育ちのオイラなんかよりも剣山系の自然を知っている。

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        秋のコテージ…

今、前職を追われた船長さんは「今回の件は新たな行動を起こす何かの啓示のような気がする。これも運命だ」と割り切り、さっそく空き家を購入し修理をはじめている。この空き家を新たな拠点として田舎をアピールする活動を再開しようとしているのだ。まったく恐れいるファイトの持ち主だ。

酔うと益々にこやかになり歌って踊る船長さん、今日もまた田舎の若い人たちに元気を与えてくれるに違いない。

2011年5月10日 (火)

《活彩祖谷村》の村長さん

国の押しつけで歴史ある『村人』という呼び名を捨てることになり、この田舎の行く末を案じている人たちの為にある人物が立ち上がった。その人を中心に一部の住民は《活彩祖谷村》(かっさい いやむら)という住民組織を作った。この地が東○○山村という地名を捨て三○市東○○になり下がった5年ほど前のことだ。

ある人物・・仮に、孤高の村長さん(以後村長さん)とでも呼ぼうか。彼はこの仮想村《活彩祖谷村》の村長となり事あるごとに深慮ある提案や助言を《活彩祖谷村》の仲間に送り続けている。それは田舎に住む多くの仲間に共通する疑問や不安を解決する糸口にもなり、心の支えにさえなっている。

どうして田舎に住むことに抵抗があるのか?どうして不便なことがマイナスであるのか?どうして行政に甘えるのか?どうして前に歩かないのか?どうして考えないのか?・・・etc 。数え上げたらきりがないが、仲間からのこういう問いかけに毅然と答える。

便利で文化的な生活をすることができる町の中に住み、コンクリートの中を歩き回ることが人間的であり素晴らしいことであるという幻想に取りつかれていたオイラは、村長さんの影響もあり、自分の故郷であるこの田舎のよさを再認識しているhappy01

P10005311       新緑の中から野鳥の鳴き声がきこえる

不便であるからこそ、そこから何らかの発想が生まれる。つまり頭を使うわけだ。便利だからと何かを買って済ませてしまうと頭を使うことは少ない。不便だからこそ頭を使い考え続ける・・・と村長さんは語る。

行政が何かのイベントや企画を組めば、そこに助成金とか補助金がついてくる・・・それが諸悪の根源なのだ。いちど誰かのお金で始めたイベントはいったんお金がこなくなれば誰も前向きに動かなくなる。それが人間の弱さでもある・・・と村長さんは嘆く。

数年前、まだこの田舎が村であった頃、太鼓による演奏で村おこしをしようとの計画が浮かび、それが軌道に乗り新たな観光資源になると思った矢先、町村合併の風が吹いてきた。その後の財政難で補助金が打ち切られると、天地を揺るがすほどの大きい音を出していた太鼓たちは、しだいに叩く者が減ってゆき倉庫の隅で小さくなった。お金のあるなしで始めた企画は頓挫する。やる気のあるなしで始めた企画はやる気をなくさない以上頓挫することはない。

オイラはゴルフをやっていたが、給与が下がり、子どももできた。それ以後ゴルフ場に行くことはなくなった。お金があるから人並みにゴルフを・・・。あるいは趣味がゴルフって言えることがカッコいいから・・・。はたまた上司や同僚との付き合いのために・・・。と情けない理由で始めたことだったから、お金が続かなくなったとたんゴルフ熱は去っていった。ん~考えてみるとこれも行政のイベントと同じようなものかcoldsweats01

P1020039       今年の国際雪合戦の熱い戦い

当市では冬のイベントとして国際雪合戦なる催しが行なわれているが、村長さんは自費でこの催しを盛り上げようといくつかの妙案を出したが、それは次の年に反映されなかったらしい。あまりにも熱意の低い行政にあきれはて協力することから身を引いた・・・と村長さん。

たとえ田舎とはいえ『国際』と名が付いたイベントなのだから、どう盛り上げ、どう続けていくか・・・そんなことを考え村長さんは雪道を走り回ったのだが、その熱意は冬の寒さのように冷えきった行政の在り方の前に冷めてしまったと言えるだろう。

とりあえずここが村であった頃の催しだから形だけでも続けないとなぁ・・。そのうち予算がつかなくなったらこのイベントもやめないとなぁ・・。どこからかそんな声が聞こえてきそうだ。

このブログを始めた最大の理由は、数年前に郵便局を退職した孤高の村長さんと、このすばらしき《活彩祖谷村》に集うゆかいな村民(仲間)たちとの交流を紹介したかったからだ。以後しわしわ(ゆっくり)とやっていこうと思っているscissors

2011年5月 9日 (月)

こまった迷子たち

ここ数年、毎年登山客の道迷いによる遭難が後を絶たない。いつからか中高年の登山ブームみたいなことがはじまったのだが、いまだにその残党が何の思慮もなく「そうだ。天気がいいから山へ行こう」とまるでコンビニへ買い物に出かけるような軽いノリで山に来てしまう。

昨日も寒峰(標高1605m)へ登山した1名の高齢者が助けを求めてきた。地元の警察官と消防団員が現場へ行き、この迷子を無事にふもとまで案内したfuji

3月にも残雪の残る天狗塚とイザリハゲへ登山をしたグループが道に迷い、地元の警察、消防、そして消防団が救出のため山に向かった。多くの有志の尽力でこの大人の迷子たち(14名)は夕方無事に下山し、ふもとの老人福祉施設で休憩をさせてもらい飲食のもてなしを受けた。その後この地を後にしたまま14名の迷子たちの誰一人としてお礼の一言もなく、とりわけ山で生を受け山で育った人情に厚い地元衆を辟易とさせたこともあったshock

昨年、高知市のショッピングモールで、案内所の迷子担当の女性に迷子になっていた子供ともども頭を下げる若い夫婦を見かけたが、あの夫婦よりもあの子供よりも、はるかに大人なのに人としての心が成長していない迷子たちだと思うのだが・・・。

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徳○県の剣山系には年間数万人の観光客が訪れるが、その一部の登山者がだらしない。心の奥底に(どうにかなったら誰かがどうにかしてくれるだろう・・・)という「どうにかなるさ」の甘えがあるのかもしれない。

剣山系の山々で遭難する者の多くは隣県の人たちだ。特に香○ナンバーの車が登山口にあったら遭難すると思え、そのくらい地元では警戒している。愛○県、高○県、徳○県などには高い山があるから多少なりとも山のことを理解しているが、香○県には高い山がない。遭難する背景にはそういうこともあると思う・・・。

いったん遭難事故が発生すれば一日の救出活動で、その費用は数十万円になるのだが、その対応はボランティアであったり公的な予算だったりしている。当市以外のコンビニで弁当や飲み物を買って山に来て、ゴミと足跡だけを残し帰っていく登山者がかなりいるように感じる。そこにおける当市に何のメリットがあるのだろう。

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自然を愛し山を愛し自分を愛している本来の登山者とは、自分で決め自分の足で山に会いに行くのだから、すべての行動は自己責任以外の何ものでもないことを知っている。そのうえで山に登り・山を敬い・山と語り・山に感謝し・下山する。それが山へ登る者の心意気ってものだ。

言いかえると、登山する山の道を覚え登山用品の準備をして山に登り、自然を傷つけるようなことは決してしないよう山を敬い、その折々の景色を自分の記憶や写真に収めながら山と語り、ゴミなどを残さないように山に感謝し、ケガなどをすることなく誰に迷惑をかけることなく無事に下山する・・・ということだ。

山で迷子になる人たちに一言、どうかお詫びの気持ちで当市の観光土産のひとつでも買って帰って下さい・・・smile

2011年5月 8日 (日)

市民って

数年前に町村合併がありオイラの住んでいた村は市になった。村民から町民を飛び越えていきなり市民になったわけで今でも妙に心が落ち着かない。それまでは「ここの村人(むらびと)」とか言えたが「ここの市人」とは言わないし「死人(しびと)」はあっても「市人」って言葉はないから、住民・市民としか言いようがない。所さんの・・とあるテレビ番組で「第一村人発見」なんてやってたが、もう村人とは自分のことを言えないと思うとさびしいdespair

その昔、里の町に下りて何かの際に住所を書くときや電気製品を配達してもらう時に○○村ですかと店員に言われることに抵抗があり、村人と知れるのが少しいやだった。それまでは自分が村人であることや住んでいる村のことを少し隠そうとしていた。この心理の奥底にはできるだけ便利で文明的な生活を営んでいる者が勝ち組で不便なところに住んでいる自分がなんだか負け組のような・・・そんな気持ちがあったのかもしれない。

しかしいざ町村合併で市民になってみると村人であった頃がなつかしい。市民になったばかりの頃は市民なんだとウキウキしたが、よくよく考えると少しばかりテレビのチャンネル数がふえただけで住んでる状況はほとんど何も変わらなかったcoldsweats02

そのテレビもよく見るのはアニメやNHKの子ども番組(子供の付き合い)とNHKスペシャルそしてニュース。あとは『相棒』『科捜研の女』『おみやさん』などのテレビ朝日系列の刑事番組くらいなもので・・・。だいたい平均すると夜3時間くらいしかテレビは見ない。しかもカミさんに至ってはテレビなんてなくてもいいと断言するほどのテレビ嫌いなのだ。

P1000142         地区の中を蛇のように道路が抜けている

合併後、行政の中心が里の町に移ったことで、ここの生活といえばむしろ不便になりつつあるようだ。元村人はどんどんと便利な里の町へ流れていき過疎化が加速している。交付税を出す国にとってこの政策はメリットがあっただろうが、この田舎にはデメリットばかりが目立つ。この場所に生活の拠点がある限り、町村合併をしてもしなくても生活に影響はなかったと思う。むしろ合併をしないで村のままであったほうがよかったのかもしれない。

・・・などと少しここの生活に不満が募ってきた頃、職場の異動で町へ転勤になったことがある。そこの職場の者の多くは町で住んでいるのだが、人としての度量が小さい者が多いのに驚いた。田舎なら笑い飛ばせるであろうことが、町では何か重大なことのように騒いでいるし、自分のことを棚に上げて部下を平気で叱っているとか。あるいは部下の小さなミスをいつまでも責めてみたりとか・・・本当に心の狭い者が多かった。ピリピリとした人間関係の中で便利な生活を送ったとしてもそれが何になるのだろう。たとえ生活に不便があっても心の広い元村民たちと暮らしていける幸せのようなものをその時感じた。

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         我が家の鯉のぼりは毎年旧暦まで泳ぐ

ここに住む人々が今後も町の悪い影響を受けないで、昔ながらの村民気質を忘れないで生活をしていってほしいと願う。この先、元村民が次々と減っていこうとも、オイラも平家伝説の残るこの地に生まれた村人であった誇りを忘れずにこの田舎でがんばろ~っとhappy01

      

2011年5月 7日 (土)

ゆっくりの象徴

オイラは今住んでいる地区の男衆の中では若い方から3番目だ。50歳を過ぎているにもかかわらずだ・・・。この地区に住んで5年になるが30代の女性が嫁いできて、ひとり増えただけで、男衆は増えていない。これから10年後、60歳になった頃、自分より若い男が増えているのだろうかと冷静に考えてみると、たぶん男衆の中では若い方から3番目変わらずだろうな・・・ん~なんだかこわい。

ここには限界集落なんて言葉はとうにやってきている。まわりには高齢者(65歳以上)がほとんどで、腰が悪い、足が悪い。中にはもともとのんびり屋さんもいるが・・・そんな年寄り衆がゆるゆると動く。その頭上に白い雲がゆるゆると流れている。さっきから吹いている風もなんだかゆっくりと流れている。

田舎に長く住んでいると何もかもがゆっくりで単調、それが当たり前でどうしようもなくこれでいいのだろうかと追いたてられ、このままじゃいかんとあせるような気持ちになることがある。ゆるゆると流れる田舎の蟻地獄の中でもがいて生きているみたいな・・・。

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          川面にうつる緑も濃くなりつつある

都会の喧騒の中では日々、早い時間の流れについていくことが生きる証明みたいなことってあるんじゃなかろうか。だからゆっくりのんびりに追いたてられることは少ないと思うが、ここでは気を抜くとついゆっくりのんびりな空気に染まりそうになってしまう。

いかん、いかん。またぽわ~んとしそうだ。オイラはまだゆっくりのんびりはできない。まだ若いんだ。やることもいっぱいある・・・そう思いのんびりと葛藤していた最近までの自分が今は、いなくなった。この田舎のほとんどの年寄り衆は自然と共生しゆっくりと生きているが、それがすばらしい癒しなのだと気づいたからだ。

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         朝霧が高い山を抜けていく

休日のある朝、自宅の窓から見える対岸の畑の中に小さい緑がたくさん色づいているのに目がとまった。雪が解けたのはつい最近なのに畑の主、お年寄りが農作をはじめたのだろう。ゆっくりのんびりであっても畑には作物ができ田舎の風景は変わり季節は確実に巡ることを知らせてくれる人の営みがそこにある。それに寄与している年寄り衆は田舎の風景そのものであり癒しの象徴であろう。この田舎から年寄り衆がいなくなればそれはもう田舎ではなくなってしまう。

今はまだのんびりとできないが年寄りになる頃までにはゆっくりのんびりの達人になり田舎の象徴になりたいものだ。

2011年5月 3日 (火)

巨大地震と大津波

平成7年1月に関西を中心に発生した地震は甚大な被害をもたらした。いわゆる阪神淡路大震災であるが、当時神戸市の長田区に仕事で行った時に瓦礫と焼け野原が広がる市街地に立っていると、そばへ歩いてきた老人が戦中の空襲の後のようだと言っていたことが、最近思い出された。

そのきっかけは3月11日に東北沖で発生した大地震による悲惨な状況を見たときだ。当日親戚を訪ねると、たった今大きな地震があって関東に住んでいる子供が心配だ・・・と言っているのを聞いて巨大地震のことを知った。家に帰りすぐリモコンを取りテレビをつけた。いつもと違う異様な雰囲気の中、沖からやってくる大きな津波を見たときこれが現実なのかと我が目を疑った。数十分後、この大津波は巨大地震によって産みだされた恐ろしい現実であることを我々日本人は自覚することになる。

次々と沿岸に押し寄せた大津波は東北から東関東の各地を襲い、普通に暮らしていた人々の命や財産を根こそぎ奪っていった。その光景は、映画やテレビで見る架空のものとは明らかに違って感じられた。巨大地震でダメージを受けたところへ大津波が押し寄せ天災によるダブルパンチは被害をこの上ないほど甚大なものにしたのだが、それだけで終わらなかったことが今回の災害の悲惨なところだ。

巨大地震と大津波が去った後、福島県の原発から大量の放射性物質がその敷地外へと漏れ出したのだ。想定外の地震と津波で原発が異常をきたし今回の事故が発生したと電力会社は説明をしたが、なんと無責任な言葉なのだろう。壊れれば放射性物質による地域汚染は免れないことがわかりきっている。そんな原発の安全に関する想定をいったいどれくらいと見積もっていたのだろうか。

こんな危険な施設を造るのなら、たとえ日本が沈没して海底に沈んでも放射性物質はけっして外部に漏れ出さないくらいの想定をして設計してほしかった・・・と原発事故に追い立てられ故郷を出て行かなければならなかった被災者の多くは考えているのではないかと思う。

将来、国も原発に頼らない政策を取るかもしれないが、国民も原発でまかなわなければいけないほど電気を使わないで無駄遣いはやめるべきだ。えらそうに言ってる手前、せめて無駄な電気は使わないようにとなるべく身近なところから節電をしてみるとこの1カ月頑張った結果、3千円あまり電気代が安くなっていた。

いつもの都会の夜、地上には銀河のような光が渦巻いていたが、計画停電の夜は真っ暗になった。田舎では真っ暗な地上から夜空を見上げ、きれいな星々に感動することは容易だが、都会ではそうはいかない。しかし今回だけは真っ暗な下界から天空を見上げ、たくさんの星を眺めてほしい。その中には大震災で亡くなった悲しい魂が星になって輝いているかもしれないからだ。

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