活彩祖谷村

2011年5月12日 (木)

《活彩祖谷村》の船長さん

オイラがはじめて出会った時には、すでに村長さんと彼はいつも一緒だった。そして村長さんともども《めんめ塾》や《てんごの会》といった、村おこしにつながる住民グループの中心的な存在だった。この田舎で毎年開かれているジャズフェスタの夜、熱く語り合う二人の田舎に対する熱意のようなものにひかれたことを覚えている。

彼のことを仮に、歌って踊る船長さん(以下、船長さん)とでも呼ぼうか。この船長さんはもともとこの田舎の人ではなかったが、25年ほど前にこの田舎の女性と結婚をした事をきっかけにして、海を捨て山村にやってきた。大海原へ何カ月も航海に出かけていたひとりの海の男は山の男になった。まさに陸に上がった河童状態となると思いきや、とにかく動く。村長さんに負けず劣らず行動する。

船長さんは、この3月まで竜宮崖コテージの管理人として働いていたのだが、行政の圧力をうけやめることになった。あと何年かは働く必要があったのだが、行政の思惑で市役所OBの方が後釜としてそこで働くことになっていた。たとえのんびりとした田舎であっても理不尽ってやつは平気でまかり通る。それを知った元村人の一人がその不正を訴えたことで、このOBの方は管理人職を辞退した。しかしながら船長さんの再雇用にはいたらなかった。

P1050009      秋の竜宮崖コテージ管理棟

このコテージで何年も管理人をやってきた船長さんは観光客からも人気者だった。宿泊客と共に飲んで歌って踊って、この田舎の良さを暖炉の前で朝まで語った。もちろん施設についても壊れたトイレや水道や遊歩道を自分で修理し、宿泊客が帰った後はいくつかある宿泊棟をまわりすべて掃除していた。その道具はもとより簡単な資材は自前でやっていたのだから驚く。

外国客が増えてくれば英会話まで勉強して、それなりに理解できるほどになっていたことには更に驚かされたが、それほど熱意のある管理人だった。この船長さんの人柄でどれだけのリターン客がいただろう。遠くは北海道・九州、そしてアメリカ・イギリスなどの外国の方まで・・・。

管理人時代には調理師の免許を取得し、知人から電気関係の手伝いを頼まれたことを機にして50歳を超えてから電気工事士の免許を取ってくるなど、その年齢に関係なく物事に向かっていく船長さんの姿は感動ものだった。もう50歳を過ぎたからとか、若くないからとか、この人の場合まったく関係ない。山を愛し数年前から山のガイドもしている。山育ちのオイラなんかよりも剣山系の自然を知っている。

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        秋のコテージ…

今、前職を追われた船長さんは「今回の件は新たな行動を起こす何かの啓示のような気がする。これも運命だ」と割り切り、さっそく空き家を購入し修理をはじめている。この空き家を新たな拠点として田舎をアピールする活動を再開しようとしているのだ。まったく恐れいるファイトの持ち主だ。

酔うと益々にこやかになり歌って踊る船長さん、今日もまた田舎の若い人たちに元気を与えてくれるに違いない。

2011年5月10日 (火)

《活彩祖谷村》の村長さん

国の押しつけで歴史ある『村人』という呼び名を捨てることになり、この田舎の行く末を案じている人たちの為にある人物が立ち上がった。その人を中心に一部の住民は《活彩祖谷村》(かっさい いやむら)という住民組織を作った。この地が東○○山村という地名を捨て三○市東○○になり下がった5年ほど前のことだ。

ある人物・・仮に、孤高の村長さん(以後村長さん)とでも呼ぼうか。彼はこの仮想村《活彩祖谷村》の村長となり事あるごとに深慮ある提案や助言を《活彩祖谷村》の仲間に送り続けている。それは田舎に住む多くの仲間に共通する疑問や不安を解決する糸口にもなり、心の支えにさえなっている。

どうして田舎に住むことに抵抗があるのか?どうして不便なことがマイナスであるのか?どうして行政に甘えるのか?どうして前に歩かないのか?どうして考えないのか?・・・etc 。数え上げたらきりがないが、仲間からのこういう問いかけに毅然と答える。

便利で文化的な生活をすることができる町の中に住み、コンクリートの中を歩き回ることが人間的であり素晴らしいことであるという幻想に取りつかれていたオイラは、村長さんの影響もあり、自分の故郷であるこの田舎のよさを再認識しているhappy01

P10005311       新緑の中から野鳥の鳴き声がきこえる

不便であるからこそ、そこから何らかの発想が生まれる。つまり頭を使うわけだ。便利だからと何かを買って済ませてしまうと頭を使うことは少ない。不便だからこそ頭を使い考え続ける・・・と村長さんは語る。

行政が何かのイベントや企画を組めば、そこに助成金とか補助金がついてくる・・・それが諸悪の根源なのだ。いちど誰かのお金で始めたイベントはいったんお金がこなくなれば誰も前向きに動かなくなる。それが人間の弱さでもある・・・と村長さんは嘆く。

数年前、まだこの田舎が村であった頃、太鼓による演奏で村おこしをしようとの計画が浮かび、それが軌道に乗り新たな観光資源になると思った矢先、町村合併の風が吹いてきた。その後の財政難で補助金が打ち切られると、天地を揺るがすほどの大きい音を出していた太鼓たちは、しだいに叩く者が減ってゆき倉庫の隅で小さくなった。お金のあるなしで始めた企画は頓挫する。やる気のあるなしで始めた企画はやる気をなくさない以上頓挫することはない。

オイラはゴルフをやっていたが、給与が下がり、子どももできた。それ以後ゴルフ場に行くことはなくなった。お金があるから人並みにゴルフを・・・。あるいは趣味がゴルフって言えることがカッコいいから・・・。はたまた上司や同僚との付き合いのために・・・。と情けない理由で始めたことだったから、お金が続かなくなったとたんゴルフ熱は去っていった。ん~考えてみるとこれも行政のイベントと同じようなものかcoldsweats01

P1020039       今年の国際雪合戦の熱い戦い

当市では冬のイベントとして国際雪合戦なる催しが行なわれているが、村長さんは自費でこの催しを盛り上げようといくつかの妙案を出したが、それは次の年に反映されなかったらしい。あまりにも熱意の低い行政にあきれはて協力することから身を引いた・・・と村長さん。

たとえ田舎とはいえ『国際』と名が付いたイベントなのだから、どう盛り上げ、どう続けていくか・・・そんなことを考え村長さんは雪道を走り回ったのだが、その熱意は冬の寒さのように冷えきった行政の在り方の前に冷めてしまったと言えるだろう。

とりあえずここが村であった頃の催しだから形だけでも続けないとなぁ・・。そのうち予算がつかなくなったらこのイベントもやめないとなぁ・・。どこからかそんな声が聞こえてきそうだ。

このブログを始めた最大の理由は、数年前に郵便局を退職した孤高の村長さんと、このすばらしき《活彩祖谷村》に集うゆかいな村民(仲間)たちとの交流を紹介したかったからだ。以後しわしわ(ゆっくり)とやっていこうと思っているscissors

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